まず描きたい場面がある

先週1週間夏休みでした。
社会人になって以来、こんなにまとまった休暇は初めて。
転職したときも全く間が開かなかった。
しかし遊び下手というのか、なんだか有効に時間を使えませんでした。

それでも自転車で都内を走ってみたり、友人と飲んだり、実家に一泊だけですが帰省したりと、いくつかの出来事もありました。

それぞれ別の日ですが、映画「崖の上のポニョ」と「ダークナイト」を観てきました。
考えてみれば映画館に足を運んだのはずいぶん久しぶり。
最後に観たのは……あれ?ひょっとして去年の夏公開の(私自身が関わった)映画の初号試写だったかもしれない。
今は映像業界から離れたとはいえ、これは良くないなあ。

「崖の上のポニョ」は冒頭のシーンが素晴らしかった。
昔のディズニーや、たけくまメモでも指摘しているようにフライシャーの影響を随所に感じる「アニメーション」でした。
ストーリーは宮崎アニメではかつて無いほど意味を失っている。
描きたい場面がまずある。そしてそれらは印象的。
時間軸は、アニメーション(命を吹き込む魔法)のためにある。
ストーリーは場面と場面を繋ぐためにある。
それはまるでテーマパークのライド型アトラクションのよう。

シナリオも無いままに、まずイメージボードを描き始める宮崎駿の特異な製作手法は、とどのつまり一番大切なのはシナリオ(ストーリー)ではなく、絵であり、個々の場面であるということができると思います。
今までは首を傾げる部分は多々あれど、その骨組みがわからない程度に肉付けされていたのが、いよいよストーリーや伏線やつじつまは放棄されて、非常に構造がわかりやすくなりました。

「映画館に足を運び、1000円以上の金を支払い、2時間前後暗い中座り続ける」という、いわば掛け金を払った人はドラマツルギーなり、最近で言えば「泣ける」など感情の揺り動かしだったり、カタルシスを求めます。
もちろんそれは真っ当な考えですが、ポニョにそれを期待した人は恐らく裏切られた気持ちになります。

「映画」の面白さと「アニメーション」の面白さというのは別のところにある。
そんなことを考えさせられました。
宮崎駿って深遠なテーマや思想を掲げるようなイメージが一般にはあると思うけど、実は主義主張(昔共産主義だったとかはここでは関係ない)よりも枝葉末節の人であり、メインよりもアウトローの人だなあと改めて感じました。

「ダークナイト」はすごかった。
私はバットマンやアメコミに特段思い入れがあるわけではないけれど、この映画を観て何も感じ入るところが無い人は、今後アメコミ原作の映画をチェックする必要は全く無いと思います。
ゴッサムシティのダークな雰囲気。
ヒース・レジャー演じるジョーカーの例を挙げるまでもない各種キャラクターの造形、演技。
なにより、ストーリー展開の光と陰。
スパイダーマン実写第1作の時も思ったことですが、マンガやアニメの実写化がここまでうまくいくのは驚嘆に値します。

とはいえ、実は上記2作とも自分の中では傑作ではない。
ポニョは「迷作」ダークナイトは「良作」というところでしょうか。