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おしゃれな奴に対してムカつくのはなんでだろう

ある時、サイトデザインなんかのネタ集というかリンクを集めているブログがあって、ああ、参考になるなあと深く考えずにRSSをGoogle Readerに登録した。
でもその後配信されるRSSを読むと、どこそこのカフェに行ったとか、ナンバーナイン(人気ブランド)のセールに行ったとか、そんな話題が多くて辟易し、「ケッ、おしゃれなアーバンライフかよ。お前の行くカフェとか着る服に興味はねえよ」という感じでRSSを登録解除した。

しかしよく考えてみると、私もカフェには行くし、洋服も好きだし、東京の下北沢に住んでいて、カタカナの肩書きで、別に大差ない生活を送っているのだった。
単に生活の中でどこに重きを置くか、どこを切り出すかという違いだけのようにも思える。
それにも関わらず、なぜ私は件のブログに対してひがみの裏返しとも言えるような見方をしたのだろう。
目的(参考になるサイトデザインの資料)以外のノイズが多いことに不快感を示したという部分もあると思うけど、それだけじゃないような気がする。
例えばそのブログがネタ集以外に赤貧エピソードやキツい職場環境が綴られていたら、RSSの登録解除はしていなかったのではないか。

私の知り合いや友達の女性で、割と社会的に地位とか立場を確立している人は、ネットでのコミュニケーションがうまく行っていない場合が多い。
自分のサイトを持っていても嫌がらせを受けて閉鎖してしまったり、ブログでも心ないコメントなどを受けてだんだん更新頻度が落ちていったり、そもそもほとんどレスポンスが無かったり。
そして恐ろしいことに、私自身が、その知り合いや友人のブログやサイトに対して不快感を持っていることもある。

美容や食のライターやアドバイザーをしている友人のブログ。
フランス人と結婚してフランスに住んでいる知り合いのブログ。
ミュージシャンとして各地を飛び回っている友人のブログ。
イラストレーターとして活躍している知り合いのブログ。

共通しているのは少なくとも傍からみると、華麗で洒落た生活を送っていることだ。
アップされた文章や写真も、素敵できらびやかだったりする。

徹夜で仕事をしていて、ふと手を休めて彼女たちのサイトを見ると「ケッ」と思う。
いいよな。お気楽で。
でも私は実際には彼女たちがサイトに載せない部分で努力したり苦労したりしているのを知っている。
それは親の介護だったり、流産だったり、私と同じように仕事での徹夜だったり、様々だ。

ネガティブなことを書かないのは美学なのかもしれないし、単に自分をより良く見せたいのかもしれないし、プロとしての職業意識かもしれない。
とにかく言えるのは、彼女たちのネット上でのプレゼンテーションはうまくいかなかった(いっていない)ということだ。

ネット上のコンセンサスは社会的弱者にある。
お金が無い人。仕事が無い人。時間がない人。心が弱い人。
旧来メディアには社会的強者の声しか載らなかったのとは対照的だ。
重要なのはコンセンサスが弱者を中心になされている以上、別に弱者じゃない人も、このコンセンサスに則って意思決定しがちだということだ。

だから旧来メディア、既存メディアで成功した人は、ネット上では攻撃される側にある。
かといって安易なポピュリズムに走るのも、不幸自慢、露悪趣味になってしまうのももちろん良くないし、「キャラ作り」が露見した時は炎上すること間違いない。
この辺のバランス感覚を持っているかどうかがカギになるんだろう。
例えば、経済評論家の勝間和代さんは、女性で社会的に成功している方では、一番そのへんをうまくやっている気がする。