アリの人生

自分の身に起こったことの原因を求める。
私が太っているのは仕事や家庭でのストレスから過食に走ってしまうからだ。
私が今それなりに暮らしているのは、若い時こんな苦労をしてきたからだ。

人やものについても原因を求める。
景気が悪いのは90年代以降の政府と日銀のせいだ。良くなってきたのは現政権のおかげだ。
あいつが顔は悪くないのに結婚できないのは、性格に問題がある。

原因があるから結果がある。物事には因果関係がある。
しかし実際には運や偶然というものがある。
運や偶然とは自分の観測が及ばない因果関係の結果なのかもしれない。
風が吹けば桶屋が儲かるというような。

完全に因果関係が把握出来れば、例えば競馬やTOTOは百発百中だし、これから何が起こるか予知のようなことができるのだろう。
もちろんそんな人間もコンピュータも無い。
時々勘違いした人が現れるが、大事なのは予知が当たることではなく、いつかははずれることだ。

自分がアリのようなものだと考えてみる。
別にアリでなくてもいい。
自分にとって取るに足らないものになってみる。
アリのようなコロニーの中での集団生活に自分はそぐわないという場合は、蚊もいいかもしれない。
ボウフラの頃は仲間もいるが、成虫になってからは独りの時間が長いだろう。

なんでそんな風に考えるのかというと、自分という存在を客観視できるような気がするからだ。

ある日、アリクイに見つかって、コロニー(アリの巣)をほじられ、私は食べられてしまった。
またある日は、血を吸おうと人の二の腕に近寄ったが、あえなく叩き潰されてしまった。

私は運が悪かったのだろうか。なにか素晴らしい教えに従ったり、壺を買ったりすると助かったのだろうか。
生き抜いてきた人の成功本を読みあさって実践すると、事前に察知して避けることができるのだろうか。
努力が運を引き寄せるなら、いつもせっせと働いていれば、いざというときうまくいくのだろうか。

答えは、もちろん否だ。
うまくいくのかもしれないが、うまくいかないかもしれない。
自分の人生は自分でコントロールできないことに囲まれている。
うまくいく人はそれを偶然だとは思わず自分の力だと思い、うまくいかない人は自分に非があるんじゃないかと思う。
でも結局のところ、人生はそれ自体がギャンブルのようなものなのだ。
誇り高く生きても、人生の終幕でヘルパーに虐められるかもしれないのだ。

そんな認識は、努力は報われる、というような人生訓を信じている人には耐え難いのかもしれない。
まあでも仕方ない。
私はアリなのだから。