パン屋の恐怖

大学生の頃、○○製パンという大手パンメーカーでバイトをしたことがある。
夜勤で、確か12時間働くと14,000円くらいもらえたと記憶している。
一日に一万円を超える、というのは拘束時間に関わらず、
その頃の僕にとって、割のいい仕事かどうかのボーダーラインだった。

出勤するとタイムカードを押して、ロッカールームに行って着替える。
作業服は白の上下。靴とベルトだけ持参したものを使用して、あとは支給される。
きんちゃく状というのか、小学生のときの給食着の帽子のようなものをかぶる。
耳と髪の毛は帽子の中に入れなければならない。
各持ち場に行く。
僕は和菓子部門だった。

それぞれの入り口には使い捨ての食品衛生用の手袋がある。それを手にはめる。
口にはマスクをする。
扉の前には機械があって、「ここに手を入れてください」というようなことが書いてある。
両手をかざすと手袋をはめた手に消毒用アルコールが噴霧される。
それが扉のスイッチになっていて、はじめて作業場に入ることができる。
衛生管理がシステム化されているのだ。

中に入ると独特のにおいがたちこめている。
町のパン屋さんの美味しそうなにおいとは違う、なにか別のにおいだ。
あるいはイースト菌のにおいかもしれない。

バイト初日、持ち場に行って最初にした仕事は、あんぱんの仕分けだった。
目の前に、水色の大きなポリバケツを二つ置く。
そして、返品されたものなのか、在庫余りなのか、賞味期限切れの大量のあんぱんが用意される。
「じゃあこのあんぱんを、あんことパンに分けて、それぞれバケツに入れていって」
僕はあんぱんの袋を開け、パンを割って、あんこを左のバケツに、パンを右のバケツに入れていく。
パンは固くなっていて、緑色のカビが生えているものも少なくない。
また乾燥しているため、どうしてもパン屑が少しずつあんこの方に混じってしまう。
それを毎回数百個分はやる。単調な作業だ。

なぜ仕分けするかといえば、パンは捨て、あんこは再利用するためだ。
パンは数日しか日持ちしないが、あんこは数週間はもつ。
新たに炊いたあんこと混ぜて、再びあんぱんになって出荷されていく。

水ようかんは三人一組で作業する。
一人が期限切れのパックを開ける。
もう一人がそのパックに入っている水ようかんを新しいパックに移す。
最後のひとりはそれをパッキングして、新たな賞味期限が印刷されたシールを貼る。
その作業をひたすら繰り返す。
水ようかん2つ入りのパックだったら、2〜3秒に1パックできあがるので、
1000パック作っても40分程度にしかならない。時間が経つのがとても遅く感じる。

食事の時間になると、食堂に行って食事を食べる。
食事はほとんどが和食で、肉野菜炒めとかサバの味噌煮とかサラダと、米飯だ。
食べ物を作っている工場で、作業員用の別の食べ物を作っているというのも変な話ではある。
でも売店にパンは売っているが、とても食べる気が起こらない。
僕は夜勤で売店が閉まっていたので、どちらにしろパンを食べる機会はなかった。

作業場には消毒用アルコールが至る所に置いてある。
ガラス用洗剤の容器のような、ノズルが霧状になるやつだ。
トレイとあんこがくっつかないようにアルコールを噴く。
床に落ちた団子にアルコールを噴いて元に戻す。
(厳重な管理にも関わらず、靴は持ち込みだし、搬入、搬出があるので、床は土足同然だった)
食品の原材料に「消毒用アルコール」と書きたくなるくらい、
なにかにつけて、アルコールを噴いた。

やらされる作業の意味合いを考えると気が滅入ってしょうがないのと、
単調な作業と、過ぎる時間の遅さに辟易して、数日でバイトは辞めた。
その後数年は、そのメーカーのパンや和菓子は食べることができなかった。

新鮮な野菜や、生産者まで遡れる安心な牛肉を売りにしてるハンバーガーショップも、
バンズ(パンの部分)がこのメーカーだったりするので、がっかりする。
まあ日本全国のチェーンに安定供給できるメーカーなんて
数えるほどしかないのだから致し方ない。

それから少しして、そのパンメーカーの賞味期限偽装事件が起こった。
小売店に製造年月日が未来の商品が届いたことで発覚したのだ。
関係者で驚いた人はいなかっただろう。

その後雪印の事件なども起こったし、
ひょっとしたら今はもうちょっと現場はマシなのかもしれない。
でも、規模が大きい会社であればあるほど、システムはしっかり作れても、
現場で作業する人達に、衛生概念が浸透しにくいのは確かだと思う。
また工場やファミレスの厨房など、直接食べる人の目が届かないところでは、
こういうことは今も日常的に行っているところは多いはずだ。

今は気にしてもきりがないので、そのメーカーのパンも普通に食べています。