推理もののことなんですけど。
「オリエント急行殺人事件」って読んだことありますか?
アガサ・クリスティーの生み出した「名探偵ポワロ」シリーズのみならず、推理ミステリーの中でも最高傑作と称される事も多い名作です。
映画にもなっているので、そちらで観たことがある、という方もいると思います。
※読んでない方には申し訳ないのですが、以下の文章は若干のネタバレが含まれます。
ひとりの男が、列車の中で遺体となって発見された。
列車という密室の中で、被疑者全員に完璧なアリバイがある。
たまたまその列車、オリエント急行に乗り合わせた、灰色の脳細胞の持ち主、エルキュール・ポワロがその謎を解き明かしていくんですが、だんだん、殺された男がとんでもない悪党だったということが解ってくるんですよ。
殺されても仕方がないような男だった。
犯人は、やむにやまれぬ事情で、犯行に至った。
で、真相を解明し、真犯人がわかったあと、なんとラストでエルキュール・ポワロは、真犯人は不明、ということで事件から手を引いてしまってエンディングを迎えます。
つまり、犯人をかばって、警察に差し出さなかったんです。
中学生の時だったと思うんですけど、初めて読んだときには、なんか違和感を抱きました。
と同時にすごいなぁと思いました。
だってこれはもうりっぱな犯罪です。
「殺人」という犯罪の片棒を担いだも同然です。
正式な罪状はわからないけれど、正義の味方失格なのは間違いないでしょう。
でもこうあって欲しい、という読者の心情にはフィットする。
時代劇で言えば「大岡裁き」みたいな感じです。
杓子定規に悪は悪って決め付けたりせず、寛大なんですよね。
実は「オリエント〜」に限らず、推理ものの古典にはときどきこういう結末があります。
古典ではないけど、刑事コロンボにも、死期が近い犯人を、敢えて逮捕しないまま終わるという結末がありました。
現実世界では許されない事かもしれないし、ありえない事かもしれないけれど、僕はこういうお話って割と好きです。
で、すごく話が飛ぶんですけど。
「名探偵コナン」も毎回殺人事件が冒頭で起こって、主人公のコナンくんがさまざなな事件を、常人には到達し得ない推理力で解決していくんですけど、やっぱりそのなかで、殺人の動機が毎回用意されているんです。
中には「うんうん、そりゃ殺してもしょうがないよね」と見てるほうが思っちゃうのもあるんですけど、その度にコナン君は、その理由を突っぱねて、「人を殺すのは許せない!」というようなことを言うんですよ。
で、犯人は逮捕される。
うん、そりゃそうだ。
殺人はいけない。
なんでいけないのか煩悶する若者が多いのかもしれないけれど、ゴールデンタイムのアニメのモラルとしては、殺人はよくない。
でもその割には「なんでいけないのか?」ってところがすっごいおざなりではないのか?と思うんですよね。
みんな死んだ人を悼むのもそこそこに謎を解き始めるし。
んーなんかうまくいえないなぁ…
思うに「殺人はいけない!」「犯人は逮捕!」って、一見単純に見えるけれど、かなり高度な判断が必要なはずなんですよね。
現にポワロもコロンボも「犯人は逮捕!」とは言わない場合もあった。
みんなそれぞれ問題を抱えて生きていて、それぞれの事情が絡み合って生きているんだから、単純な悪人などいない。
それって、下手したら「殺人はいけない!」ってことより先に子どもに伝えなくちゃいけないことかもしれないと思うんです。
繰り返していいますけど、殺人オーケーって言ってるわけじゃないですよ。
実際それでコナン君が犯人をわざと見逃したら抗議殺到でしょうしね。
なーんかいつも…といってもごくたまにしか観ないんですけど…「名探偵コナン」を観てるとそんなことが気になるんです。
だから怪盗キッドと対決してたり、同情しようのない悪人が犯人だったりするだけの方が、ゴールデンタイムのアニメとしてはベターだと思うんですよ。
複雑な問題は遅い時間のサスペンスドラマにでも任せておけばいいんです。
そういえば日本の推理物って逮捕されたり罰せられたりして終わるものばかりではないですか?
そんなにこのジャンルに詳しいわけではないので、ひょっとしたら違うのもあるのかもしれないけれど。
「殺人はいけない!」「犯人は逮捕!」っていうのはモラルの問題ではなくて、日本人の杓子定規な一種の「思想」に近いのかもしれませんね。
…なんか危険思想っぽい締めくくり方で不安ですが。