経済学で使われる、「ストック(Stock ; 資産)」と「フロー(Flow ; 支出)」という言葉が、メディアに対しても使われているということを知りました。
人文学系の人や、いわゆるブロガーの人たちにとっては周知の事実なのかもしれませんが、なるほどしっくりくる言葉だと思いました。
- ストック=蓄積、恒常的
- フロー=流動的、刹那的
というようなニュアンスだと解釈しています。
例を挙げると、
- 書籍=ストック、雑誌=フロー
- DVD=ストック、映画=フロー
- Wikipedia=ストック、2ちゃんねる=フロー
- 手紙=ストック、携帯メール=フロー
とまあ、こんな感じでしょうか。
例はいくらでも挙げることはできますが、まあだいたいそんな感じ。
さらに掘り下げると、メディアは同じでも、コンテンツの質によってストックとフローは別れるかもしれない。
- ジブリアニメ=ストック、深夜の名も亡きアニメ=フロー
いや、これは単なる淘汰かな?
話を戻すと、僕は昔からこのストックとフローという概念をなんとなく意識しつつ、でもうまく自分の中で明文化、体系化できていなかった気がします。
例えば、今この日記を載せているブログ。
ブログはストックなのか、フローなのかと言えば、たぶん多くの人にとってはフローなのでしょう。
mixiも、これは個々のブログによりますが、やっぱり、多くの人にとって、フローなのだと思います。
それはつまり、ブログやmixiの「読み手」にとっては(もちろん私自身も含めて)、コンテンツとしての普遍的な価値よりも、「その時つながってる感」、「コミュニケーション」の面白さが、魅力的だということ。
これだけ世の中の多くの人が参加したり、読んだり書いたりして盛り上がるのも、それが大きいわけだ。
もちろんアルファブロガーや、数百人マイミクがいるような人は、普遍的かは置いておいても、コンテンツとして面白いものを書いているのだと思う。
でもさ、媒体(メディア)がなんであれ、俺が常に作りたいもの、書きたいもの、描きたいもの、それはフローじゃなくてストックなんだわ。
かつて、広告業界から、ディズニーに転職したのも、TVCMという究極に「フロー」なコンテンツを作っていて、「ストック」を求めていたような気がする。
で、mixiの日記ですらもなんか読む価値があるものを書こう、と思っていました。
でもブログとかmixiで、フローの要素を無視してやっても、ダメなのかもしれない。
牛丼屋に入ってきたお客に、刺身を出すようなものかもしれない。
ということに、今更ながら気がつきました。
ブログとかmixiでなくとも、これからはストックが浸食され、フローが拡大していく傾向にある。
つまり、「ストック」を作っているつもりが「フロー」だったということが起こる。
もともと「フロー」を作っていたつもりでも、空気読めてないということが起こりうる。
コンテンツ制作者だったら常に意識しておいて損はない概念だと思う。
俺は「牛丼を食べにきたけど、コレはコレでウマいね!」と言われる日を夢に見て試行錯誤を続けます。